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毎日無表情

常にフラットな気持ち

ヤンキー文化が嫌いだ。

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ヤンキーを題材にした映画、ドラマ、マンガが嫌いだ。

こういったモノが流行っている社会にも嫌悪感を抱く。

bylines.news.yahoo.co.jp

ヤンキーは美しいのか?

中学の卒業式で

僕が通っていた中学校にも不良グループがいた。

教師に反抗し、一部の生徒に暴力を加えていたグループだ。

 

そんな彼らが卒業式の最後、

「先生ありがとうございました!」

とアドリブで叫んでいた。

 

苦笑いしか出なかった。

きっと彼らには、「迷惑をかけて教師に感謝する」という美意識があったのだろう。

しかし、「迷惑かけたけど教師に感謝してる自分」に酔っているようにしか見えなかった。

 

グループ至上主義

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ヤンキーが野球に打ち込んで甲子園を目指す。

仲間を守るために身体を張るヤンキー。

 

などなど、「周りに迷惑をかけるような少年さえ、何かに打ち込む熱さ、仲間を大切にする気持ちがあるんですよ。美しいでしょ?」

といったメッセージを発信しようとする意味がわからん。

 

「周りの生徒に迷惑をかけるような不良でも不良仲間はしっかり守る。」

なんて、

「自分と仲の良い人を大切にしてたらそれ以外の人は蔑ろにしてもいい。」

というグループ至上主義を植え付けているにすぎない。反吐が出る。

こんな考えを美談として語るべきでない。

 

あるべきモデル

問題発生→対処方法を各自考える→チームでより良い方法を打ち出す→実行→検証→さらに方法を発展させる→実行→目的達成!!

 

そう!つまりシン・ゴジラだ。

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長谷川博己が招集した、各分野に長けた曲者ぞろいのチームでゴジラという存在の分析、有効な手立てを検証して発展・実行する物語はすばらしかった。

 

個の力を結集して、さらに強くする。それこそがチームなのだと教えてくれる。

これこそすばらしいモデルなのだ。

 

ヤンキーに感化される子ども

この日本では昔からヤンキー文化が発展している。

しかもそれらがウケるというのだから、いつの時代でも新しいモノが作られる。

そうしてヤンキー文化に子どもが触れ、歪んだグループ至上主義に感化された人間が再生産される。

ヤンキー文化がヤンキーを生み出していると言える。

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テレビやマンガで

「教師や親に反抗する。」

「暴力で解決しょうとする。」

というモデルを見ることによって、

子どもの行動の中に「反抗」「暴力」という選択肢が加えられる。

そして子どもがその選択を取ることにより、社会からはみ出すことになる。

 

ヤンキーになりきれない子どもでも、

「ヤンキーって実は良い人が多いからな。」

と憧れを持つ子どもは多い。

 

ヤンキーを生み出す装置になっているヤンキー文化は許容はされても賞賛はされるべきでない。

 

ヤンキー層の社会での存在意義

ヤンキー層の社会の中での存在が語られている記事があった。

gendai.ismedia.jp

これからヤンキーがどんどん増えていくそうで。

エリートは都会に出て行く。

地方にヤンキーが残る。

ヤンキーは早く結婚して子どもをたくさん産む。

地方はヤンキーが増えていく。

 

いやぁ。恐ろしや。恐ろしや。

 

最後に

ルーキーズとかハイアンドローとかヤンキーものはまったく観たことありません。

昔に映画館でバイトしているときに「ドロップ」というのを公開している期間に来ていた客層がひどすぎてヤンキーものは絶対見ない、と誓いました。(誰に?)

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上から目線の注文。

携帯を見ながらの注文。

尖ったサングラス。

薄暗い館内でもサングラス。

とにかくメロンソーダを注文。

店員をおちょくろうとする中高生。

すぐにクレーム。

横柄な態度。

 

きっとヤンキー映画が公開される度に映画館従業員は消耗しているはず。

 

あと、EXILEみたいなファッションもきらいです。

あのオラついた感じ?

かっこよさがわかりません。

 

これからの社会を作る中高生には「シン・ゴジラ」を見て欲しいものです。

 

こういったヤンキー文化批判をしているようで実は「シン・ゴジラ」を宣伝している自分もなかなかカッコ悪いよね。